目指すは隠とんと連帯~脱資本主義?~

目指すは隠とんと連帯~脱資本主義?~ 隠とん生活

こんばんは。

今日は「隠とんと連帯」がテーマです。

「隠とん」は隠とん生活のことです。

山奥とか田舎で人との接触を避けて生きるみたいなイメージです。

テレビでやっている「ポツンと一軒家」みたいなのが一番近いイメージかもしれません。

ただ、私は何も田舎で暮らしたいわけではありません。というより、比較的都市と言われるようなところで育ってきたので、おそらくガチ田舎暮らしは無理です。虫嫌いだし。

そうなると、ある程度街中で暮らすことになります。

しかし、人との関わりを最小限に抑えることは無理ではないでしょうし、どちらかというとこちらのほうが現実的です。

これは言い換えれば、「社会と距離をとる」ことを意味しますが、そこでネックになってくるのが「お金」です。

「お金」は「社会」の中で必要不可欠なツールになってしまっています。何をするにもお金が必要とすら言えます。これはマルクスが言うところの「本源的蓄積」の結果なわけですが(分からなくても大丈夫です)、とにかくお金がないとダメ人間くらいの社会になってしまっているということです。

しかし、私はそんな社会はウンザリです。ごめんこうむりたい。くそくらえ。おっと、口が悪くなりました。失礼。

とはいえ、ではどうする? という話になるわけですが、お金をまったく使わない生活はほぼ不可能なので、出来るだけお金を「必要としない」生活をする必要があります。注意してほしいのは「お金を使わない生活」ではなく「お金を必要としない生活」であるというところです。

例えば、維持費のかかるものをできるだけ買わないというのは1つの方法です。例えば、車は初期費用のほかに車検代、ガソリン代、税金等々維持費がかかります。これを原付バイクにするとか、自転車にするだけでも「必要なお金」は減少します。車がないと生活できないというところだと難しいですが、その場合、思い切って引っ越しちゃうという手もあります。

スマホも通信費(維持費)が安くなるキャリアに乗り換えるとか、方法は色々です。

この辺は個人での工夫が必要ですが、さらに必要費を下げる方法として「連帯」が私は重要だと考えます。

現代では人に何かやってもらおうと考えると「お金」を媒介させることが多いですが、お互いの「好き」や「得意」を共有することで、お金を使わずにお互いが欲しいものを得るという領域を増やすべきではないかと思うのです。一種の物々交換ですね。ジモティーみたいな場合によっては無料でものがもらえるみたいなプラットフォームを使う手もあります(無料な分、注意も必要ですが)。

これは昨今よく言われる「脱成長」の文脈で使われる、「コモン(公共)の再生」と同じようなものになります。

こういう領域が生活の中で増えれば、必要なお金が減って、社会との距離をどんどん離していけるはずです。

ちなみに私はこれを多くの人がやるべきだとは思いません。というより、出来ないと思います。

みんな、楽をしたいし、快楽を追求したいからです。

社会と距離をとる生活は、内向的で、かつ人と接することに苦しみを覚える人にしかできないでしょう。共産主義の失敗はこの辺もあるんじゃないかと思ったりします。マルクスも相当変人でしたからね。

でも、私はそうだし、これを読んで共感を覚える人はきっとこういう生活が向いています。

このブログではこういう「隠とんと連帯」を目指せる情報も出したいと思っています。

そして、これは必然的に「脱資本主義」になる部分もあるので、社会思想に触れる勉強にもなるという一石二鳥の取り組みです。

隠とん生活のためには、事前に多くのお金が必要と言うのが常識的価値観ですが、これは資本主義的だと私は思います。

でも、私のような変人は非常識なほうが生きやすいはずです。

非常識には実は可能性が広がっています。

一緒に可能性を探ってみませんか?

今夜はここまでです。

お読みいただきありがとうございました。

また、読みに来てくださいね。

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