こんばんは。
今日のテーマは「ボランティアの価値」です。
ボランティアというと、福祉などの分野でのボランティアをイメージする人もいるかもしれませんが、実際はもっと幅の広いものです。
要は、お金をもらうことを前提としないで何かすることは全部ボランティアと言えます。とはいえ、じゃあタダ働きとは何か違うのかという疑問も出てきます。
確かに、最近は行政など政治の分野がボランティアに頼りがちになっていますが、あれは実質タダ働きに見えます。
私の感覚ではボランティアは、
- する側が誇りを持てること
- する側とされる側は対等であること
- 両者が利益を得て、第三者が利益を得ないこと
である、というような整理をしています。
まず、する側が誇りを持てることが重要です。お金という対価が無い代わりに「誇り」を得るというのがボランティアの豊かさだと思います。
また、お金が介在すると「お金を払う人」が上で、「お金をもらう人」が下になるという上下関係が生まれてしまいます。そうならないようにと努力しても、どこかこういう上下関係的マインドが影として付きまとうものです。ですから、お金を介さないことで対等であり続けるというのも大切だと思います。
最後に、ボランティアではする側が「誇り」を、される側は「何らかの不便さ解消」を得ますが、それ以外の人や団体が利益を得ていないことも重要です。別の人や組織がすべきことを、ボランティアにさせてしまうというのは、「それ以外の人の利益」と言えるので、ボランティアというよりはタダ働きであると言えます。
これら3つのどれかが欠ければ、それはタダ働きになると思いますので、本来は対価を要求すべきと言えるのではないでしょうか。
中でも大事なのが最初にあげた「誇り」ですよね。
各々の人が「誇り」に思えることをするというのは、社会を豊かにしていく大切な感覚だと思います。
「誇り」というのは、単なる承認欲求とかではなく、「他の人のためになっていて、いつ・どんなところでも感謝されること」ぐらいに考えておくと良いと思います。
最近言われる「ブルシット・ジョブ(くそどうでも良い仕事)」は、こういう感覚によって減らせるのではないかと感じます。
私は福祉みたいなボランティアはしたことありませんが、「ついなちゃん/Wゆき関連の台本」などでボランティア活動になっています。ボランティアしようと思って始めたわけではないですけどね(笑)
(Wゆきって何?という方はこちらを見てみて!→Wゆきサイト)
以前読んだ「利他学」(小田亮/著)という本では、人間は本来利他的な行動をする生き物であるというようなことが書かれていました。利他というのは「他者のための行動」ということですが、そうすると周辺からの「評価」が上がったり、「利他を受けた人」が別の人に利他をするという利他の連鎖が起こり、結果的に全体が最適化されるというメカニズムがあるのです。
「情けは人の為ならず」と言い、これは「情け(利他)は他者のためになるだけではなく、自分のためにもなるから、どんどんした方がいいよ」という格言ですが、これは人間が持っているメカニズムを見事に言い表しているわけです。
というわけで、ボランティアというのは社会を良くしていく力を秘めていると思うので、やってみたいときには「お金もらわないなんて馬鹿だ」と思わず、やってみると良いんじゃないかなと思います。
人から感謝されることもあるし、自分もなんかいい気分になるし、それで社会が良くなるなら、そんなに悪い話じゃないと思うんですよね。
というわけで、今回はボランティアの価値について語ってみました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
また、読みに来てくださいね。
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