ネガティブ療法のメカニズムは心の安全基地ではないか

ネガティブ療法のメカニズムは心の安全基地ではないか 未分類

こんばんは。

今日のテーマは「心の安全基地とネガティブ療法」です。

まず、ネガティブ療法について説明します。

ネガティブ療法は以下のブログで紹介されている、抑圧を減らして生きやすくなるための方法論です。

ネガティブ療法まとめーあやえも研究所

これのメカニズムってどこにあるのかなあと考えていて、最近知った「心の安全基地」という考え方に類似していることに気が付きました。

ネガティブ療法では、反抗期の要領であらゆること(すべて)にネガティブな感情を向け、すべて否定していくということをします。こうすることで、主に幼少期に確立された抑圧(これをしたら見捨てられるから絶対にしてはならないという自分だけのルール)をも否定し、それらから解放されるというものです。なお、これはあやえも研究所さん独自の体系です。

で、「心の安全基地」というのは、心理学的に確立されている考え方で、自分を何があっても守ってくれる人やものというもので、特に幼少期の親が対象になることが多いものです。

この「心の安全基地」があるから、子どもは未知のものへチャレンジすることができます。

この感覚は大人になってもありますが、大人になると無条件ではなくなり、相互に安全基地になることが求められます。

それがなかなか得られないというところが難しいわけですけどね。

この「心の安全基地」とネガティブ療法は、近しいものがあると思います。

というのも、あやえも研究所さんのブログでは、以下のような記載があります。

私たちはネガティブになってすべてを否定しているのに、自然は大きく私たちを包み込んでくれています。(抑圧を解放する時には「死と再生」が起きる、というお話

どんなに悪態をついても受け入れてくれるものとして、自然があげられていますよね。

これはまさに「心の安全基地」を自然に置いていることを意味します。厳密に言えば、ブログを読んでいると、著者の「心の安全基地」は海です。

先ほども書いたように大人になると、人を対象にした「心の安全基地」をつくることは難しいです。相互に基地になる必要があるため、自分が不安定だと、相手を受け止められないからです。(カウンセラーなど専門の相手なら別です)

でも、物であれば無条件です。

心の安全基地があれば、どんな抑圧を否定しても受け入れてくれますから、自分が知らず知らずのうちにとらわれているものからも解放される日が来るのです。

よって、ネガティブ療法の根幹は「心の安全基地」をつくることなんだと私は解釈しました。

ゴールが「心の安全基地」をつくることなのであれば、必ずしもあやえも研究所さんの手法である必要もありません。

あなたなりの手法で「心の安全基地」を見つけていけばよいのです。

それは人かもしれないし、物かもしれないし、行動や仕事かもしれません。

自分がここにいれば、これがあれば、これをしていれば、安心するという場所を見つけてください。

必ずあります。

必ず。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

また、読みに来てくださいね。

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