こんばんは。
今日のテーマは「個人主義的アナキズム」です。この前の続編です。
アナキズムと言っても実際は色々な考え方があります。世界史で習うアナキズムは何やら不穏ですが、私が考えるアナキズムはもっとシンプルです。
私の思想を分類すれば、「個人主義的アナキズム」になると思われます。
基本は私たちは個人として尊重されて当然であるという個人主義にあります。
これ自体はもはや当たり前になっており、今や例えば個人の能力ではなく、出自で人生が決まる身分制を擁護する人はほとんどいないはずです。もちろん、様々な差別などはあり、完全ではありませんけども。
ただ、個人主義には大きな欠陥があります。
個人主義は、個人の共同体(家族や地域コミュニティ、組織など)からの解放とイコールなわけですが、そうすると自分のことは自分で全て決めなくてはいけない、しかもその責任は自分で負わなくてはいけないというプレッシャーが襲ってくるのです。
やりたいことがある人にはうってつけですが、そうでもない人にはなかなか大変な思想です。
やりたいことがないので、根無し草のようにふわふわしてきてしまう。不安にさいなまれる。
こういう状態を社会学者のデュルケムは「連帯なき個人主義」と呼びました。
ですから、個人主義ではむしろ、他者と一緒に何かをすることが必要です。
お互いがお互いを助け合う環境に身を置かなくてはいけません。人間は他者との関わりがないと自分が何者かを把握できないからです。
自分が何者か分からないからこそ、ふわふわした連帯なき個人主義社会に放り出されて、不安に押しつぶされてしまう。
そして、その不安から逃れるために、強い支配ー被支配関係のある組織に入ってしまったりするわけです。ブラック企業とか、カルト団体とか。むやみやたらに人と関わるのがいいわけでもありません。
そういうのではない、お互いがお互いを助け合う関係を作り、自分を把握し、安全と安心を得る。そういう関係がいたるところで絡み合うことで作られるのが、私の考える理想的な社会です。
だから、アナキストだからといって、一人で生きるわけではありません。というか、一人で生きていくことは無理です。
もちろんどれくらい人との接点を作るかとか、どれくらいの濃さで付き合うかは人によって違うでしょうけれどね。
こうしてみると、いわゆる保守的な考えと似ているようにも思えますが、決定的に違うのは、自分の共同体は自分で作るという点です。
すでにある共同体に左右されることをできるだけ減らして、自らが自らの共同体を作っていくという「主体性」がアナキズムだと思います。
すなわち、誰に支配されるかを選ぶのではなく、自分たちで社会(関係)を作るということです。これがアナキズムのコアにあるべきだと私は考えています。
私は今の日本社会は「連帯なき個人主義」へ向かう傾向を強めていると感じます。
個人主義だからこそ、他者との関係性をつくり、すべての個人が幸せに生きられる社会を目指すという方向性にならないものなのかなあと思いますね。
誰かを下げて(排除して)自分のポジションを確保するなんていう個人主義は無い方がマシではないかと思ったりもします。
今回も読んでいただき、ありがとうございました。
また、読みに来てくださいね。
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